私はTwitterが好き
Gree、Mixi、Messenger、Skype、Discord、CacaoTalk、LINE、Instagram、Facebook・・
たくさんのSNSを転々としてきた私。
どれも長くは続かなかったけど、唯一続いているSNSがある。それは「Twitter」
この飾らない感じが好きで、用途別で幾つもアカウントが手軽に作れるというところに魅力を感じている。
ツイッターというシステムは、フォローした人のつぶやきがタイムラインとなって列を成す。
その人のつぶやき以外にも、その人がRT(リツイート)したりしたものがTLに現れたり、「いいね」するものもたまに、ハイライトとなって画面上に現れてくる。
まぁ早い話が、「興味のある人をフォローして、情報を見るのが楽しいな」って思うのがツイッターってことです。
その情報に目を通して共感したり、五感を刺激したり、持論を述べたり、他者と会話したり・・そういった流れを楽しめるのがこのTwitterというSNSの魅力です。
フォローすればする程に情報量は増えて、
100人を超えた辺りでもう、タイムラインは通常、目で終えるスピードではなくなりますのでそこからは増やしてもあまり意味がないのですが、
毎日違う情報が流れてくるんで、自分は気に入ってますね。
人と話す時が一番楽しいのはSNS共通の部分なんですけど、RT先の文章や漫画で考えさせられたり、悩んでたことの気が紛れたりする事もあって、本当に毎日見ていて飽きない!
Twitterになんではまってるんだろう、って疑問に思ったので、なんで好きなのか書いてみた次第です。
当該のゲーム用アカウントとして活動している私は、
そのゲームを辞めたらパタッと活動を辞めてしまいます。
まぁそんなときは決まって
「このゲームは辞めましたので、このゲームで繋がりのあった方は、フォロー解除してもらっても大丈夫です。次にまた楽しいゲームが来た時はそのアカウントとして使いますので」みたいな文章を書くんですが、
ブロックとか、リムーブ(相手から友達関係を解除されること)されると結構凹んじゃいます・・覚悟はしているんですけど!どうも慣れませんね。
言い換えてみればそれだけこのTwitterというサービスに依存してるって事なんでしょう。
よきかな、出会いあれば別れも有る。そう考える事にしましょう。
活動してるアカウントで、会話が弾んだ時って結構楽しいんですよ、
皆基本静かなんで・・。私にとってはそういう人って大切な存在として捉えられています。
気の合う人を見つけようものなら、リプ(返信)しまくってます。
うまくいくことのほうが少ないんですが、それでも少ない可能性を信じて・・関係を構築していくしかないのです。
自分から攻めていかないと、何事も進展しませんからね。
私は、このような考え方に至るまでたくさんの方に教えてもらいました。
ゲームを通じてなんですけどね、現実の大人って中々教えてくれないんですもん。
ある時はアラド戦記っていうゲームの、Kさん。
「少ない可能性を待つんじゃないんだ、少ない可能性を目指して何度も突っ込むんだ」
この言葉は現実でも役立ちました。会社が推薦する難関国家資格を受ける時、ゲームをしたい欲に狩られながらも勉強しながらずっとこの言葉がループしていました。
ネットで書かれた言葉であれど、ちゃんと”言霊”は存在するのです。
2回試験には落ちましたけどね。
(三回目にようやく取れました)
そしてある時は・・これは最近のことですがLovAというゲーム
Rさんが言ってくれた言葉
「心理さんまじで頼りになるわ、思いつかないような面白いビルド考えてくれて、ほんと楽しくなった。ありがとう」
彼はいまでも元気にしているのか分からないですが、この言葉は結構心に来ましたね。
どのゲームでも、一人でいる時間のほうが多かったのですがアラド戦記と同じでこの方も野良(知らない人とランダムで組むこと)で知り合った数少ない私の誇れるお友達なのです。
この時はマイク環境がなくて私は聞き専のチャット通話でしたが、むこうはボイスチャット使って終始私を気にかけてくれていました。
今となっては美化されている部分もあれど、あの頃は良かったなぁ・・。
毎日が楽しくて、会社あるのに夜中3時位まで毎日通話しつつ遊んでいたものです。
やめた時は本当にあっけなかったですが、あの密度は濃かった・・!
最後はTOSというゲーム。
これもやはり出会いは野良です。野良ってマジで・・博打なんですけど(どんな人がいるかわからない)
RさんとUさん(2人は身内?)の2人と会えてからは毎日が楽しかったです。
やっぱ楽しい時ってずっとは続かない。リアルの都合もあるし・・
でもそれでも、この3人で過ごした時間は凄く大切で、覚えていたいと思える時間でした。
特に心に残った一言とかはないんですけど、この場合は「大切な時間と思い出」が思い出せるようSS(スクリーンショット)を大量に撮っています。
これが私のかけがえのない資産ってやつです。
ゲームは基本、そのゲームから「ログアウト」することで一旦関係が離れてしまいます。
でもこのTwitterでお互いをフォローしていると「ゲーム外でも気になるあの人の動向をみたり、お話したり出来る」のです。
SNSってここが魅力なんですかね、多分。
過去は思い出として昇華されて、今は今を最高の思い出とするべく奮闘する日々です。
ゲームは時間の無駄!って現実だと結構な人から言われちゃいますけど、私はそうは思わないんですよね。
むしろこんなに素晴らしいものを作ってくれてありがとう!
次はどんな世界を見せてくれるのかな?っていうポジティブな気持ちしか出てこないです。
・・現実でも出せればいいんですけど。
要するにあれです、SNSサイコー
オンラインゲーム、サイコー
人との繋がり気持ちいい!
わーい
終わり
匿名の神絵師
昨日とある人のツイートで、気になる一文があった。
「2chの書き込みを「これ俺が書いたやつだw」みたいな感じで主張しだす子供が増えて匿名掲示板の良さが失われてしまったような気がします」
あー・・確かにって思いました。
最近のネットは(主にツイッターでお話しますが)
匿名希望 なんて言葉、最近はあまり聞かなくなりましたよね。
みんながみんな、我こそは、我こそはと思ってガメつくなってしまっている気がします。
上記の文にもあるように、ツイッターでたくさんRTされたりすると
「これ私が書いたやつです」とか「コレ前に俺が作ったやつw」とか、
聞いても居ないのに「自己顕示」してくる人がたくさんいます。
皆、アカウントという「ひとつの自我」を持ち、日々承認欲求に飢えているのです。
ツイッターは匿名性は低いので、仕方ないのかもしれませんが
昔は2chとか、そういう匿名性が活かされた場所で情報を漁ってきていた私からするとどうも、今の環境に疑問というか・・別にそれ書かなくても良くない?って思うことがよくあるんですよね。
むしろ心のなかで「あぁ、やっと俺の作品が見てもらえたんだ。嬉しいな」
で留めておくのが理想なんじゃないかなとさえ思います。
パクツイって言葉がありますが、それって言いかえると「それだけ魅力のあるもの」と捉えられますし
そりゃ作品を”盗まれて”いい思いをする人は一人も居ないと思いますが、
そういう考え方もあるんじゃないかってどうも考えてしまうんですね。
ここで、題名のお話をしましょう。
私がまだ学生だった頃のことです。
ある日、2chではないとある絵師板で、非常に高いクオリティの絵が投稿されました
最初は数人が反応して「誰が書いたんですか?」「HPありますか?」とか聞いてて
私はROM専(見るの専門で書き込みはめったにしない人)だったのでその出来事を終始見守る立場に居ました。
話は進んでいって、どうやらその絵は投稿者本人が書いたものだと判明。
ちょっとしたお祭り騒ぎになって、連日のように少しずつリクエストも増えて行き、投稿者もそれに答えては投稿してくれました。
この投稿者、ちょっと価値観が変わっていて
「私が書いたものはどのような事に使っても構いません」というスタイルの人で、
まだ著作権やら盗作やら騒がれていない時代であったにもかかわらず、視野の広い人だなーという印象を受けました。
毎日のようにアップされる絵を見ては、心が癒やされる。
夢のような日々はずっと続いていくんじゃないかと思われたときに、ある事件が起きます。
「絵師本人」なるものが、表舞台で活動を始めており、お金までもらっていた事が判明したのです。
これには投稿者もショックを隠しきれない様子でした、投稿者は皆に喜んでもらえることが嬉しくて、リクエストに沿って絵を投稿していたのですが
そのリクエストのほとんどが「商用で使うために欲しかった材料」として見られていたのです。
匿名性が売りの掲示板とは言えど、この事態に対しては警察が動きました。なにせお金までもらっていましたので・・。
すぐに犯人は特定されて、投稿者とお話する機会もあったそうです。
詳しくは話さなかったものの、最終的には投稿者さん、相手に1つお願いして許したそうです。
「誰が作った作品なのか、重要なのはそこじゃなくて・・その作品をどう使ってくれるか。私としてはそこを大切にしてほしいと思います」
確かこんな感じの文章でした、結構長文だったのですがこの1文は今も忘れられないですね。
投稿者は、この一件の後・・絵師板へ戻ってくることはなく
そのカリスマ亡き後は緩やかにアクセスも減り、翌年に絵師板は閉鎖されました。
要は、その作品を仮に盗用、流用したとして
「その作品の使い方、紹介の仕方を作者に見せても恥ずかしくないか」
真理はここにあるんじゃないでしょうか。
・・・匿名性の良さは今、失われつつあるって話で、なんでこんな話になってしまったのか。
自分でも何書いてるか分からなくなってきたので終わりにします。
Steamゲーでもやろう
ゲームは攻略記事を見た瞬間から死んでしまう
どんなに楽しいゲームでも、
攻略記事や情報の先取りをしているとその時点で既に「ゲームとしての意味」を
なくして、そこからはもう「作業」になってしまう。
その作業は、将来失敗しないための「積立や保険」であり、
実際に”その時”が来たらオンラインゲームでは「経済を支配」出来たりする力を持てる。
仮想とは言えど、情報の使い方次第では「絶対的な地位」を手に入れる事が出来るのです。
そんなわけで皆、オンゲでは情報を先取りして計画を立てちゃうんですよね。
オンゲはそれでいいです。誰だって有名になりたいし、目立ちたいでしょうし。
私だってそうですしね!ええ!
しかし、ソロゲーではどうでしょうか。
ソシャゲとかはリセマラ文化がありますので、最初の当たりを見つける為に調べるのは良いとしましょう。
分かりやすい例を上げるとすれば、そうですね・・「脱出ゲーム」とかいいんじゃないでしょうか。
”限られた空間の中” をくまなく探していき、手に入れた ”てがかりやアイテム” を駆使して最終的には「部屋から脱出すればクリア」というシンプルなゲームです。
しかしこうシンプルに書いては居ますが、てがかりやアイテムを手に入れても使う順番や用途が分からなかったりして、凄いもやもやする時間というのが発生します。
この”もやもやする時間”が脱出ゲームでは最高に楽しい時間だと思うのですが
大体の人はここでゲーム内で用意された「ヒント」ボタンであったり、
○○脱出ゲーム 攻略 ネタバレ
なんて調べちゃって、答えを急いでしまいます。
すると当然のようにこの”もやもやする時間”というのは早くに無くなって
いち早く「偽りの達成感」を得られるのです。この偽りの達成感は中々の曲者で、
「あぁ・・俺は解いたぞ!」っていう擬似的な快感をもたらしてくれます。
そのため「中毒」にかかり「また」同じ事を繰り返しちゃいます
そうしている内に刺激が足りなくなり「早々に飽きてしまう」
つまりは、そのジャンルを攻略した気になり「もういいや」なんていう感情が芽生え離れていきます。
確かに楽しい時間は得られます。ゲームとしての最低限の意味は達成しているでしょう。
しかし、そのゲームへの思い入れや愛着、苦労した思い出なんてのはそこまで感じられないんじゃないでしょうか。
自分で考えることを放棄して、頼る。
その行為を繰り返した先にあるのは「虚無感」しかありません。
要するに、自分で自分のゲームに対する価値観を貶めて居るのです。
調べるのが悪いとは言いませんが、ゲームを買ったりするのって
「未知のモノを見たい好奇心」かたや「知らないストーリーを心ゆくまで楽しみたい」という気持ちがあるからではないですか?
その根底を理解し、期待しているのなら、分からなくなったらすぐに調べるなんてことは、私個人としては凄く損してる気がしてなりません。
作者はきっと「楽しんで欲しい」と思っているハズです。
その気持ちをまずは何にも頼らずに「真正面で向き合って、作者の問いに悩んで、その上で突破していく」様を見せてみませんか?(俗に言う「感想」ってやつです)
というわけで、全部が全部は無理でしょうけど
「ソロゲー」に限っては頼らずに進めてみる、という選択肢を追加してみるのもいいかもしれません。
実際私も攻略記事は見ます、というか結構な数見てきました。
その上で、このような結論に至ったわけです。
ホント、虚無感しか感じなかったです。
今はこういう考えになってからは「純粋に楽しむ」ということが少しずつではありますが
出来てきたな―と感じで居ます。
なので出来るとこまででもいいです
人生の貴重な時間を、そしてやすらげる大切な時間をゲームに当てる
ゲーマーの皆さん。
「頼らずに進めて自分の力で攻略して、本当の達成感を感じてみる」
ということを体験してみてほしいと願います。
私もまだこの取り組みをはじめて日が浅いですが、楽しくなってきています。
それではまた次の記事で。
誕生日っていう人生で何度も訪れるイベント
誕生日って祝って欲しい?
私は、全く祝って欲しいという感情もなく、祝ってくれる人に対して嫌悪感すら覚えてしまう程「誕生日」という日が嫌いです。
だって普通に考えてみて・・老けて行くのを祝うってどうかしてる。
そりゃ、ここまで生きてこれたね!
生きたくても生きることの出来なかった人達を通り越して、今日まで無事で、平和にこの日が迎えられたことに感謝します!
っていう意味で祝う誕生日なら私も心からの祝福が出来るだろうけど、
だいたいの誕生日ってなんていうか・・馴れ合いみたいな感じで
誕生日おめでとー、はいこれほしがってたやつー
みたいな感じでモノ渡したら終わりじゃないですか。
その人の事を本当に考えて、ずっとずっと長生きして欲しいと思える人・・それはあなたなの!って人、少なくとも私はお友達の中には見つけられないです。
誕生日にモノをお金で買ってその場へ赴き当人へ手渡しする。これで友情が続いて行くんだからホント世の中金だなって思っちゃいますね。
少し時間を割く程度でいいんですよ、相手はきっと来てくれた事が嬉しいって感じなんでしょうけど。
言ってみれば誕生日プレゼントって自己満足でしかない、でも人付き合い続けるためにはやらなきゃいけないんです・・実際すごい面倒なんだけど仕方ないよね、生きるって事自体、基本「面倒な事をやり続ける」ってことですし。
そうですね、祝う方はこんな感じでいいんですよ。
問題は祝われる時。
そこまで心を許せる存在でもない1,2回しかお話したことのない人から「おめでとうございます」って言われると
うわ、何だこいつって思っちゃいます。
まぁだいたいが仕事上での付き合いの人ですから
「ありがとうございます」ってもう作り笑顔でも良いんで(できてるか分からないけど)相手を不快にしない程度に立ち回りつつ早めに切り上げてその場を離れることで解決しています。できます。
次に仕事上良く会うちょっとした関係の人達
祝われて悪い気はあまりしないですね、まぁビジネスパートナーですし嫌悪感なんか感じちゃったら今後やりづらくなっちゃいますし。
でもなんか、祝われるのはやっぱダメなんですよね
正直祝われ慣れてないのかもしれない・・
本当は心を開いて素直に喜びたい筈なのに、
歳をとる内にその素直さ、純粋さをいつの間にか忘れてしまったのか、どうしても開くことは出来ないんですよね~。
ああでも、嬉しいなって感じることはありますよ。
祝われて本当に嬉しいのは、家族!
ここまで立派に育ててくれた両親、本当に頭が上がりませんし、人生の大先輩です。
一時は本当にどうしようもない自分を救ってくれた、偉大な人たちです。
次に兄と姉。
兄はちょっとぶっ飛んでますが、皆の誕生日は一度も忘れたことがないという几帳面っぷりで、図書カードとか(私は読書が好きです)、商品券とかそういうのをくれます。
姉は普段から親切にしてくれます。値段で言い表せないものがありますね。
なんていうか書いてたら、
誕生日ってそんなに悪いものでもないような気がしてきた。
友達や仕事づきあいの人を祝のは
「本当にめんどう」だけど、生きるってのも
「本当にめんどう」だし、まぁいいかなって。
仮にこの「本当にめんどう」な事を辞めたのなら、
将来は「本当にめんどう」な事は少なくなると同時に
「本当に寂しい人生」となる材料が増えていくはずです。
それは、「本当に勘弁してほしい」と思うから
この「本当にめんどう」で何度も訪れる誕生日っていうイベントをこなしていくしかねーな!
という結論に至ったので終了することとします。
ネットって便利ですよね。
分からない漢字や言葉の意味、
自分でも分からない心の状態への解答
だいたいの答えが打ち込んで調べるだけですぐに分かってしまうんですから。
私は最近、毎日のように疑問が尽きません。
この1週間という短い間でも、
本当に気になることが多くて・・調べてはその意味を理解して安心したかと思うと
また次の日には違う疑問が生まれてくる・・。
この繰り返しが続いているんです。
私、頭はよくありませんのでネットで執筆されている方の記事を、本当に色んな方の記事を読ませて頂いては感動しています。
もちろん、感謝も。
ここ最近気になって居たのは
「何故自分はゲームにすぐ飽きてしまうのか」
「腹黒い人、とはどういう人間なのか」
「遅い車が前を走っていた時、皆はどうするのか」
「本当に信頼できる友達とはどういうものなのか」
「ネットで悪口を言ってる人の思考やタイプ、その対処法」
って感じで、どれも調べてみると
”なるほどな!”って思える素晴らしい解答が出てくるんです。
例えばゲームにすぐ飽きてしまう人、これは
「その先まで見据えて、これ以上やる意味は無いなと思ってしまう」
「突き詰めていくとそのゲームタイトルの致命的な欠点を見つけて、そこからボロボロとやる気や好意が失われていく」
もうだいぶ前の記事になるのですが、本当にぐうの音も出ないほどの正論で読み終わった後凄いスカッとしているのが分かりました。
次に腹黒いとはどういう人なのか
「人の居ない場所で休息をとる」
「人の幸せを妬んで素直に喜べない」
「プライベートを隠そうとする」
「人間観察を趣味としている」
「すげえ!やまじか!をよく使う」
・・・これは2,3個のサイトを回って自覚のある部分を抜き出してみたものです。
私って腹黒いんだなぁ~と衝撃を受けましたね。
でもほんと、記事に書いてある通りなんです、嫌ではなくてむしろ誇らしい。
だって誰にもバレてないし、迷惑もかけてないんですから。
うまく世渡りできる私って凄いな~~と褒めてやりたくなります。ははは
そして「遅い車が走っていた時、どういう行動に出るのか」
これはこの記事が私の思っている事を代弁してくれました。
多少この方の言い方は荒い部分もありますが、
もう個人的には素晴らしいの一言につきます。
よく執筆してくれました!って感じ
もうね、法律で「遅い車は速い車に道を譲りましょう」っての作って欲しいくらいです。
制約つけても問題ないです、5台以上後ろに溜まったら~とかでも全然いいんでほんとに・・端ハザ文化広まってほしいです。
(もちろん自分は端ハザしてます)
「本当に信頼できる友達とはどういうものなのか」
これなんですよ、たくさん探しました・・・15件くらいかな?
皆さんの思いや経験を通して・・凄い納得した記事があります。
http://www.cosmopolitan-jp.com/trends/lifestyle/real-story/a4320/i-have-no-real-friends/
そうなんです、本当にこれなんです。
人に頼らず、独立性を保っていたいという私自身の欲求が(人への信頼に関する少々の問題と混ざり合って)深く、意味のある友情を作ることを妨げている
これほど的確な言葉があるでしょうか・・私は救われましたね。
これからの人生の参考にしようと深く思いました。
まるで自分の過去をみているようだった・・
もう一つはよくあるパターンのやつですね、ツイッターとかのSNSで日々よく見ます。
本当に鬱虚しい、それしか言えません。
それではまた次のブロクで!