浪費家

私は稼ぐのが好きです、1ヶ月ほどほどに頑張って

忙しい時はたくさん頑張って、金をもらっています。

 

んで、それ以上に「お金を使うのが好き」

金って、自分思うんですけど「道具」であって「命」ではない。

 

食べ物を買うために道具を使って、対価を得る。

食べ物の部分はまぁ、ほしいものに変換すればだいたい解決するんですが、

道具を命と錯覚してしまうと、バランスが崩れてお先真っ暗な人生になってしまう。

 

言葉で表すのは難しいんだけども、そう考えてます。

今年の前半部分で正にそのような出来事があって、人って怖いんだなっていう事がありました。

 

毎年1年に1回行われる会社の決算。

頼んでいた税理事務士の新入りさんが大きなミスをしました。

利益の金額を負債の方に計上してしまって、そのまま確認することもなく提出してしまったのです。

 

どういうことかっていうと、帳簿上は

「会社が倒産して無いものと化してる」状態(実際は黒字経営)

 

皆の会社の経営状況がインターネット上に掲載される日

社長は驚いていた、

それ以上に取引先の方たちからも電話が鳴り止まなくてもうナニコレわかんねぇな状態。

もう取引をやめます、とか、仕入れ単価の急な爆上げとか、

本当に今まで親切に丁寧に接してくれていたとこも目の色が変わっていた。(まぁ当然の対応)

実質自分も社員なんで、この情報見た時はやべぇんじゃねーのって思ったし、危ないなー大丈夫かなぁ、とか要らない事も考えていたと思う。

 

それくらいのことを新入りの税理士さんは起こしたのだ。

(当の事務所側は何の反省もなし)

 

今、年末を迎えようとしているがこの訂正をするのに5ヶ月かかった。

当時、社員の自分は打ち込みが得意だからっていう理由で

本社に呼ばれて、触ったこともやったこともない帳簿の整理を任された。

何すればいいの?え?って感じだったけど、この会社には色々とお世話になってるので、頑張りますとだけ答えた。

この時は不思議なもので、金よりも会社への(社長への?)気持ちが勝った。

 

税理士も急いで事務所毎変えて、有名でお高いところに任せることになった。

ここばかりはやはり、金が物を言うのか・・まぁ他人だし。

自分でも分かるレベルで税理士さんが丁寧に話をしてくれて、

会社は大丈夫です、安心して下さいねって言われてホッとしたのを覚えている。

反省なしの税理事務所もどうかと思ったが、腹は立たなかった。

必死でそれどころじゃなかったのもあったし、怒ってもしょうがないと思えたからだ。

 

書いてて気分が悪くなるレベルで、いろんなことがあったし、

人ってお金ひとつでこうも変わるんだなって恐ろしく感じた。

誤解を解くのに社長や上司も付き合い先へ頭を下げに行って、

 

なんとか決算も5ヶ月分をやりなおして、元の正しいあるべき会社の姿を取り戻すことが出来た。

 

たくさんの人に迷惑をかけたし、また、手助けもしてもらった。

この恩は決して忘れては行けないと思うし良い経験になった。

 

その間、付き合い先と対話をする機会が結構あって

金の事しか言わない所もあれば、

こちらの内情を理解して心配してくれる所もあった。

面白いことに、付き合いの長さで上下に別れていた。

 

いや・・すげぇな

社長が口癖のように言ってた「会社は、繋がりで活きる」

って意味を改めて感じ直した瞬間でもあった。

 

自分としては、ほんと最近、数年前からなんだけども

考え方を変えている

お金は「道具」であって「命」ではない。

何事にも、生きていくには金がかかる

人と付き合うのにも金がかかる

でも、金は道具だ。命じゃない。

例えば、長らく会っていなかった友人と会う

喜んで私はお金を払う、人と人を再び繋ぎ止めてくれる

素晴らしい「道具」

 

道具で人を買うことは出来ないが、繋ぎ止める事は出来る。

築いていくことも無論だ。

 

食べに行く、飲みに行くってのは「人と仲良くなる」為の身近なコミュニケーションツール。

最近の若い人は云々って話をよく見るが、本当にそうなのか?って位飲み食いは誘って誘い合って会社の人と行きまくっている。

世論に流されちゃダメ、自分を信じろ、自分と周りが今の情報の全てだ!的な・・そんな感じで良い。

 

 

  

仕事的な面ではちょっとだけ成長出来たかな?って感じで、

人間的な面ではあまり変わんねぇじゃねぇか!って感じの1年でした。

 

 

来年は、何かいい事が言える1年にしたいですね。

 

ではでは良いお年を